南方熊楠における、手紙というメディア

加藤典洋さんの父君について考えていた。

それは、加藤さんについて考えるうえで、避けては通れぬ道だから。

 

私自分も、父との間に、わだかまりを抱えている。

つい先日、必要があって父に手紙を書いてみた。

もめごとを収束させるにあたって、話し合う必要があった。

ところが、つい対面だと、相互に感情的な反応に終始し、話は結語までたどり着かない。

そこで、どうにか一人語りを貫くことのできるメディアとして、手紙が浮上したわけである。

 

加藤さんは、何度か父親と怒号飛び交う喧嘩をしている。

加藤さんは、父君と手紙のやり取りをしたことがあったのだろうか?

 

この疑問を抱えたまま、例によってわき道に逸れさせていただく。

 

南方熊楠という思想家・植物学者(粘菌が専門)がいる。

彼の思想(とされているもの)の多くは、主に、土岐法竜という、友人の僧に対して送られた、私信、つまり超・個人的なお手紙において、吐露されたものである。

だから当然、話だって、あっちこっち脱線するし、そもそも話の核というものが見当たらないとすら見える。

少なくとも「こういうことを話そう」という姿勢が一貫しておらず、ブレブレであることは明らかだ。

 

先だっても書いた通り、書くというのは、それ自体が、生成の営みである。

自分が書いた言葉が、自分でも予期しないような次の言葉を生み、その言葉が、また予想外の言葉を生む。本来、書くという行為は、そういうものだ。

 

したがって、熊楠の書いたものに、論理性がないだの、思想としてまとまっていないだのとケチをつけるのは、どうにもお角違いだと言わねばならない。

言っておくが、彼は論理的な文章を書けないわけではない。あの『ネイチャー』をはじめとして、イギリスの学術雑誌には、「ちゃんとした」文章を、英語で書いている。

 

そこで、彼の、あえて「支離滅裂」とさえ言える、あのテキストは、どのような文脈で解釈したらよいのか、という問題は、当然浮上するはずである。

ところが、熊楠専門の研究者たちは、どうもそのことに関心があまりないようにみえる。私が強い違和感を覚えるのは、そこだ。

 

だって、考えてごなんなさいな、手紙ですよ?

手紙というメディアについて、ほとんど言及がされないまま、熊楠のテキストを論じきれるはずがない。

 

そして、日本語ですよ?

熊楠は、論理的であろうとするとき、主に英語を用いた。

そして、日本人の友達への手紙は、当然のことながら日本語で書く。

そういう事情を鑑みれば、日本語というメディアの特殊性についても考えてないかぎり、南方熊楠という巨大な謎には、一分とも迫ることができない。

 

南方熊楠という謎めいた知性に対峙するのに必要なことは、かならずしも新しい知見を得ることではないように思う。

そうではなく、すっかり既知のもの、「そんなもの、今更新しみがないよ」と嘲笑されるような箇所。あえて、そういった部分を、丁寧に、深く、読み込むことこそ、誰が求めるのでもなく、熊楠は求めているのではないか。

 

ウナギのようにつかみどころのない、彼の文章の表層ではなく、その背後にうごめく、無意識的なものの気配を感じ取ること。

 

そしてそのとき、手紙と日本語というメディアの問題は、必ずや浮上する。

 

また加藤さんの話ではなくなった。

ま、それはそれでいい。

どこかで必ず繋がるはずだから。(了)