加藤典洋さんの遺作となった、『大きな字で書くこと』。
この著作は、岩波書店の『図書』という雑誌に掲載された、
短いエッセイをまとめたものだ。
最初の出ていくるのは、「斎藤くん」という小題のエッセイ。
山形から東京に出てきて、大学ではじめてできた友人についての話である。
斎藤くんは、フランス語のサルトルの本を読み、
大学にほとんど通わないくせに、飛び抜けて優秀な成績で大学院に通ってしまう、
そんな男だ。
けれど、大学院をやめて、加藤さんも国会図書館の職員となったころ、
「靴の会社で営業をしている」斎藤くんに、道でばったり出会う。
斎藤くんは、「以前同様、背が高いまま、柔和に笑っている」。
加藤さんは、斎藤くんのことを「どうしているかな」と「たまに、思い出す」。
この記述に、私は、なんだか微笑ましい既視感を覚えた。
Oは、漱石の高等学校の友達で、東北出身。
性質も頭脳も、漱石が、自分よりも「遥かに大きかった」という彼は、
葉っぱの落ちる様をみて、「あッ悟った」と言った、「チャブドー」の男だ。
その人物は、中学校の先生をしているのを、漱石は残念に思っている。
そして本人は、いたって平気に思っている。
漱石に詳しい加藤さんは、この類似に自覚的であっただろうし、
たぶん、漱石にとってのOが、加藤さん自身が年齢を重ねるにつれて、
加藤さんにとっての斎藤くんを想起させるきっかけとなったのだろう。
そう推測する。
「昔は、小さな字で書いていた」という加藤さんが、
「大きな字で書くと」を話しはじめる前に、斎藤くんの話をしているのは、
おそらく偶然ではない。
なぜならそれは、加藤さんが、人生最後となる大きな命題に挑む前に、
自分の記憶と遊ぶことを選んだことを意味するからだ。
だから、書く人生の起点にある記憶として、「斎藤くん」が召還された。
「大きな字で書くと」で加藤さんは、こう言う。
「私は誰か。何が、その問いの答えなのか。
大きな字で書いてみると、何が書けるのか。」
これは、まるで詩である。
高橋源一郎氏が、『僕が批評家になったわけ』の解説のような箇所で指摘するとおり、
加藤さんは、大事なことを言おうとすると、なんだか詩に近い語りをする。
記憶をたどりつつ、詩のような命題を解こうとする。
これが、加藤さんの、最後の、そして最大の挑戦となったことの意味を考えている。(了)