前稿にて、私は、加藤典洋氏は、「2019年1月」に亡くなった、と記している。
さすがにブログだけあって、自分の記憶のままに記した。
というか、このブログは「あまり下調べをしない」という基本方針を採用している。
そうしたら、さっそくつまずいた。
ググってみたら、加藤さんが亡くなったのは、2019年の5月であった。
われながら不注意ではあるのだが、しかしなぜ私は、こんな勘違いしていたのか。
答えは、わりとすぐに出た。
同じ年、2019年の1月に、橋本治氏が亡くなっているのである。
それで記憶がダブっていたらしい。
私の不注意については、とりあえず自ら、「ま、これから気をつけなよ」と放免することとして、大事なのは、この、同じ1948(昭和23)年に生まれた、二つの巨大な知が、申し合わせたように、同じ年に姿を消した、という事実である。
別に申し合せたつもりは、両人にないことは承知の上だが、それでも私は、非常に遅れたタイミングで、「なんだかとんでもないことが起きた」と思っている。
ところで、さきに「二つの巨大な知」と書いた。
この評価がやや過ぎるのではないか、と見る向きがあるかもしれない。
同じ年に生まれて同じ年に死んだ「だけ」のことに過剰な意味を与えることを訝しる人もいるかもしれない。
私の結論を先に述べる。
彼らは、間違いなく「巨大な知」である。
そして彼らが、同じ年に生まれ、同じ年に死んだことには、なにか意味がある。
これは私の直観にすぎないが、そう的外れにはならない予感がしている。
「巨大」という言葉がしっくりこないことについては、自分にも思い当たるフシがあるので、その感情を喚起しているであろう、読者としての率直な印象を、具体的に言ってみることにする。
橋本氏について言えば、「なにもそんなに軽々しいことばっかり選んでしなくても」と言いたくなるような、ある種の軽薄さがある。
加藤氏について言えば、「なにもそんなに真面目くさらなくても」と言いたくなるような、気鬱さがつきまとう。
これらのイメージをもってして、私たちは、彼らを「それほどでもないひと」として片づけようとする。
まるで、彼らの能力の欠損が、そうさせるのだ、と言わんばかりに。
だが、この自分の傲慢さこそ、注視すべきだと、いまでは思っている。
これはべつに、いい人ぶった自戒ではない。
たいての場合、傲慢に構えていると、ひとの知性を見誤るから、そうするだけだ。
話を戻す。
彼らは、自分を大きく見せることに、あまり関心がない。
「どうぞ軽んじてください」とさえ、言っているように感じる。
少しでも、文章を書いたことがある人ならわかることだが、文章というのは、自分を守る武装や、堅固な建築物のようなものだ。
少しでも、自分を賢く、大きな存在に見せたい、そういう衝動に駆られるのが、言語の常であり、表現の常である。
ところが、彼らは、その真逆を行く。
だからこそ、巨大なのだ。
自分の「弱さ」を、読者に、無防備に差し出すことができる。
そんな寛容さと、ほんとうの「強さ」をそなえた書き手というのは、そうそういない。
とはいえ、書きはじめた直後に、自分の記憶違いのせいで、ずいぶん面倒なことになった。
当面は、加藤さんについて書こうと思っていたから。
けれど、この二人の凄さは、やはりどこか似ている。
これからも、ときに橋本氏も巻き込む寄り道をするかもしれない。(了)