「変な言い方」で普遍的なことを言う。

加藤典洋氏の著作を、「逆から」読んでいく、という試みを続けている。 理由は、加藤さんが、少しずつ「小さな字」から「大きな字」へと移行していく過程が、すこぶる面白いからである。 その面白さは、加藤さんが、やはり偉大な思想家であったという事実を…

なぜ、ここまでFAXか(1)

ここのところ、にわかにFAXが注目を集めている。 都の感染者情報のやり取りは、いまだFAXでなされている。 それが、もう笑うしかないほどのローテク感を醸し出しているから、世の関心が集まるのも無理からぬところである。 さて、かく言う私の自宅にも…

「わからないけどやる」覚悟について(橋本治的人生訓)

すこし落ち着いたので、忘れないうちに、いまの状況について思っていることを記す。 落ち着いた、というのは、コロナ状況に関して、である。 言っておくが、いまも発表される感染者数は、率直に言って、ウナギ登りである。 「率直に言って」とわざわざ書いた…

南方熊楠における、手紙というメディア

加藤典洋さんの父君について考えていた。 それは、加藤さんについて考えるうえで、避けては通れぬ道だから。 私自分も、父との間に、わだかまりを抱えている。 つい先日、必要があって父に手紙を書いてみた。 もめごとを収束させるにあたって、話し合う必要…

『大きな字で書くこと』と『硝子戸の中』

加藤典洋さんの遺作となった、『大きな字で書くこと』。 この著作は、岩波書店の『図書』という雑誌に掲載された、 短いエッセイをまとめたものだ。 最初の出ていくるのは、「斎藤くん」という小題のエッセイ。 山形から東京に出てきて、大学ではじめてでき…

内田樹氏による「言いよどみ」の発見

前回の更新から、19日が経過し、現在、20日目である。 三日坊主とは、よくいったものだ。 ほかの人はどうだか知らないが、私は言葉が溢れて仕方ないときもあれば、 内側に言葉を溜めておきたい時期もある。 どちらも、必要な時間だ。ま、休みが長すぎたのは…

二つの「巨大な知」

前稿にて、私は、加藤典洋氏は、「2019年1月」に亡くなった、と記している。 さすがにブログだけあって、自分の記憶のままに記した。 というか、このブログは「あまり下調べをしない」という基本方針を採用している。 そうしたら、さっそくつまずいた。 ググ…

加藤典洋『大きな字で書くこと』について

タイトルの通り、加藤典洋氏による『大きな字で書くこと』を読んだ。 まずは、静かな驚きがあった。 加藤さんの著書を、それなりに長いこと読んできた読者ならば、そういう、素直な驚きは、少なからずあったのではないだろうか。 その前に『僕が批評家になっ…

父の日

父の日が、近づいているらしい。 自分の父がどうこう、という話は置くとして、 誰にでも「ああ、こんなお父さんだったら」と、理想の父親像を描いたことくらい、あるのではないだろうか。 私の場合は、幼いころのそれは、ご近所の由美ちゃんの、お父さんだっ…