「変な言い方」で普遍的なことを言う。

 加藤典洋氏の著作を、「逆から」読んでいく、という試みを続けている。

 理由は、加藤さんが、少しずつ「小さな字」から「大きな字」へと移行していく過程が、すこぶる面白いからである。

 その面白さは、加藤さんが、やはり偉大な思想家であったという事実を、端的に示している。少なくとも私の意識の奥底には、そうした直観がはたらいている。

普遍的なことをいおうとすると、変な言い方になってしまうことが、「批評を書く」ということである。

  この加藤さんの言葉は、そのまま加藤さんの文章に当てはまる。つまり、加藤さんの言い方は、いつも少し「変な言い方」なのだ。

 自分の本当の気持ちを、文章として文字化することなど、到底できない。書くことができることなんて、たかが知れている。言語の不可能性。そこに加藤さんは、かなり初期から意識を向けている。

 

 とくに近代、言文一致という制度によって、まるで、思いの全てを言葉にすることが可能となったような錯覚が、現在にいたる日本語を覆いつくしている。加藤さんが『日本風景論』で指摘しているのは、その欺瞞と傲慢さである。

 ツイッターには、表層だけをなぞる言葉ばかりが並ぶ。その浅はかな言葉の群れは、「言葉なんてその程度」とでも言わんばかりの、言葉に対すて思慮も敬意もない意識が「ダダ洩れ」である。『日本風景論」が出版されたのは、1990年。当時は、「ただの」文芸批評であった言葉が、30年たった今になって、現在進行形の事態への的確な批評として生きてくる。

 

 言葉の表層ではなく、その深部に流れる何かをつかむこと。言葉の深部に通底する何かを抽出し、それを提示すること。 

 加藤さんにとって、批評家の仕事とは、そのようなものだった。

 

 しかし、待て。

 書いてみると明らかになるが、そんなことは、批評家は、誰でも目指している。

 加藤さんから匂う、批評家としての「異質な感じ」は、どこから来るのか?

 

 その問いに対する答えが、『僕が批評家になったわけ』で明示的に示される。この著作の内容は、2005年に書かれている。『大きな字で書くこと』に直接つながる、加藤さんの自伝的内容であるとともに、なかば直観であるが、おもに「他人の言葉」を取り扱ってきた加藤さんが、「自分の言葉」の鉱脈にたどり着いた作品ではないだろうか。

 いや、ずっと前から、加藤さんは、自分の言葉で語ってきた。けれど、『敗戦後論』に代表されるように、どこかこう、歯切れの悪さがあった。言いきらない、言いきれない。座りが悪い。

 けれど、本当に内省し、言葉の深部を知る人が、「言い切る」ことなんて、可能だろうか?そんなに、「相手の目を見て」「言い切る」、そういう一見すると格好いいだけの姿勢が、すべてだろうか?

 

「欧米人は、人の目をしっかりと見て話す」(『敗者の想像力』)

 『敗者の想像力』は、この書き出しにはじまる。こう続く。

この種の考え方にあうたび、なんだかばかばかしいな、という気持ちになった。

 

 長い間、外国で生活を送ってきた加藤さんが、この根本的な欧米的なありよう、「国際標準」と言われる姿勢について、疑義を呈していることは、もっと注目されていい。いわゆる欧米的な、マッチョイムズに対して、加藤さんは、「イヤだ」と明言する。

 人間に敬意を払い、思慮を尽くす人間が、人間に畏怖の感情を抱くのは、当然である。同時に、言語に敬意を払い、思慮を尽くす人間が、言語に畏怖の感情を抱くのもまた、当然である。

 

 加藤さんの、「回りくどさ」と「面倒くささ」。

 つまり、いつも「変な言い方」になっていまう理由は、そこにある。(了)

 

なぜ、ここまでFAXか(1)

 ここのところ、にわかにFAXが注目を集めている。

 都の感染者情報のやり取りは、いまだFAXでなされている。

 それが、もう笑うしかないほどのローテク感を醸し出しているから、世の関心が集まるのも無理からぬところである。

 

 さて、かく言う私の自宅にもまた、FAXがある。

 理由は簡単で、親がメールなどの、つまりFAX以上の「ハイテク」(?)な通信手段をもたないからである。

 そこで先日、「なぜここまでに、日本人の高齢者は、テクノロジーに対して拒否反応を示すのか」という話題について、知人と、ああだこうだと語りあったが、あまり実のある結論にたどり着けなかった。

 なので、その結論を探るべく、私なりの見解を明らかにしたいと思う。

 

 まず、高齢者がアレルギーを示すのは、総じて「新しげなもの」全般であり、とくにテクノロジーに限った話ではない、という前提を忘れてはならない。

 先週、宮藤官九郎がテレビで、個人的には興味深いことを話をしていた。彼は、もう若いアイドルの名前と顔が一致しなくなって久しく、また、それを特段、「まずい」ことだとも感じない、と告白したのである。

 これは、自分にも思い当たるフシがある。

 ある時から、若いアイドルグループの個別認識ができなくなり、そしていつからか、「もうわかんなくていいや」と匙を投げたのである。

 したがって、私もクドカンも、人生のどこかの時点で、その分野に関する「新しいもの」に対して、無知である、あるいは無知であって構わないという、ある種の決断をしたわけである。

 こうなると先日、私が同年代の友達とともに、親世代がスマホを「できなくってかまわない」という開き直りをみせていることを、少しばかり蔑んだことは、明らかに自分を顧みない所業だったと言わざるを得ない。

 恥ずべき所業としての、そのときのダベリは、およそこうである。

 つまるところ、親世代は、今更「新しいもの」に触れて恥をかくリスクよりも、触れないまま、つまりバカのまま何もしないことによる現状維持を選択した結果、反知性的であるという態度を決定したのだ、というような身もふたもないようなダベリである。

 ところが、である。

 先のクドカンの告白に、私は大いにうなづくわけであり、したがって私にも「知らなくっていいもん」という、反知性的な態度を決め込んだ部分があることは、明らかである。

 私は先日の態度を猛省する。他者について語ったうちの大体のことは、そのまま自分に当てはまる、という真実を目の当たりにする。

 

 ひとまずの結論を先に述べると、人が歳をとると事態は、多少の差こそはあれ、「新しいもの」に鈍になっていく、その意味で、非常に反知性的な事態である。

 

 歳をとるのと、時代が進んでいくことは、ほぼ同義であるのだから、生きたスパンに相当するうだけの多くの情報と接しているわけである。年齢を重ねるからといって、脳にとって新鮮味のある情報に出会わなくなるはずはなく、時代は進行しているのだから、むしろ「新しいこと」は、そこらじゅうにあふれかえっているはずである。ところが、大体の人間は、その情報すべてをキャッチアップすることができない。これに対して、「脳のキャパシティが追いつかないのだ」という言い訳は、それなりに有効にもみえ。しかしだがら、そもそも人間が、どの程度、自分の脳を活用しているのかについては大いに疑問が残るし、人間のもつ普遍的な属性として「怠け者」が挙げられることを鑑みると、「キャパシティ」節は、それほど効力をもつようには思えない。

 

 むしろ、私自身を振り返ると、キャパ云々よりも、「知らないでもいいや」と決め込んだ、自分の無自覚のうちの決意のようなもののほうが重要に思える。

 

 そもそも情報というのは、驚きとともに摂取したときの方が、脳に保存される確率が高い。ところが、年齢を重ね、経験を積むにつれ、自我、つまり「ワタクシなりのこだわり」という檻の強度は増してゆく。問題なのは、ここである。自我というのは、非常に厄介で、これがないことには、社会生活において、自己同一性とやらを担保できないし、かといって、これにばかり固執していると、「自分の世界観と合致するものしか目に入らない」という状況を引き起こす。

 するとどうなるか。世界のどの風景を見ても、どんな人物をみても、「何をみたって同じ」という、「シニカル・バカ」のド真ん中に、自分を埋没させることになる。そうなった個人は、あらゆる事態に対して、シニカルな態度を取ることが可能となり、ひいては、「シニカルに物事を見ている俺って素敵」くらいの、猛烈に恥ずかしい勘違いすら引き起こすのである。

 そこまで恥ずべき事態には陥っていないことを願うばかりだが、しかし、私がアイドルグループの個別認識ができないのは、動かし難い事実である。

 

 私のこの状態は、もはや「新しいこと」にいくら出会っても、見なかったことにする、という、私の、涙ぐましい、誠心誠意の努力のたまものとして認定すべきである。要するに、知ることを諦める。その分野については、「どうでもいい」とガン無視を決め込む。まさに反知性的な事態を、みずからのうちで、私は、無自覚なままに率先して進行させているのである。

 

 さあ、私は、この残念すぎる事態を放置してよいのか?

 

 この自問自答から、なぜ日本社会がいまだにFAXを溺愛するのかについて、考えてみたいのだが、疲れた(2000字くらいが疲労の目安)ので、今日はここまでとする。

 

 続きは明日。よって(続)

「わからないけどやる」覚悟について(橋本治的人生訓)

すこし落ち着いたので、忘れないうちに、いまの状況について思っていることを記す。

落ち着いた、というのは、コロナ状況に関して、である。

言っておくが、いまも発表される感染者数は、率直に言って、ウナギ登りである。

「率直に言って」とわざわざ書いたのは、

東京都に関して言えば、

感染者数の集計方法にも疑問があるし、

一応、ほぼ3日遅れで発表される検査数にも疑問が拭えない。

なにしろ、どのような検査対象が、その位のウエイトを占めているのか、そういったことも全く明らかにされない。

総じて、信用がならない。

しかし、信用できる数字を出せ、信用できる検査体制にしろ、と言ったところで、

まさに「暖簾に腕押し」であることは、もはや自明である。

そして、そのただなかを、私たちは生きていかなければならない。

だから、ジタバタしたってしょうがない、と言っているのではない。

死ぬか生きるかの場面で、ジタバタしないヤツは、ただのバカである。

だから、今後とも、私は、潔く、ジタバタさせていただく。

 

ここから、しかしながら一方で、という話をさせていただく。

 

 薄汚い泥沼にはまり込んでいる状況下で、「なんでこの水はこんなに汚ねえんだ!」と怒るのは当然であると同時に、それにばかり全精力を使い果たすこともできないのが、わたしを含む、多くの人々のおかれた状況である。

 それぞれの人には、仕事・学業・家事など、まこと多くの「やらねばならないこと」があるわけで、人間には等しく、1日には24時間しか与えられていない以上、この混乱のなか、すべての情報をキャッチアップし、それを自分なりに分析することは、やはり不可能である。

 したがって多くの人は、天気予報よろしく、毎日聞かされる感染者数を無批判に受け止め、しかもそのデータに一喜一憂するという、修行僧なんだか頭の悪いガキなんだか、ちょっと不思議な人になってしまっている。

 というと、他人事に聞こえそうだが、私もまた、そんなようなものだ。

 繰り返すが、基礎となるデータが示されない以上、どんなに分析を試みたとて、「うすぼんやり」状況に変わりはないのだから、そうした情緒不安定は、むしろ当然である。

 そして、感染はむしろ拡大する可能性が高いのだから、この混乱状況が収束するには、かなり幅をもった時間が必要であることは、まず確定だ。

 

 すると、かなり恐ろしいことに、年単位で、私たちの限られた時間(余命)にある生活そのものが、この「うすぼんやり」感に、完全に制圧される可能性がある。コロナを制圧する前に、こっちの人生は「うすぼんやり」に制圧されてしまう。

 これはなかなかに、由々しき事態である。「うすぼんやり」に気を取られているうちに、あっという間に青春は終わり、人生が終わることすら、考えられる。格段の手も講じていないうえ、ワクチンだってできるかわからないのだから、その可能性は高いと言える。

 するとまあ、学業も疎か、仕事も適当、恋もできない、要するに、何もできないまま無為に時を過ごすことになる。

 これはこれで、たいへんな人生の浪費であり、バカげている。

 

 これを回避するには、もはや現在進行中の「わからない」という事態を、この身に引き受けるほかに道はない。

 少なくとも、その覚悟を決めないかぎり、「わからないから、何もやらない」という状態が継続することになる。それが嫌なら、腹をくくることだ。

 「わからない」を引き受けるのにあたって必要になるのは、二つの段階を経た、態度変容である。

 まずはじめに、「わからない」という、知的に不十分である状態を、素直に認める態度が必要である。この知的な不十分さについては、再三述べたように、個人の問題ばかりに帰着させることはできないので、モヤモヤする人は多かろう。しかしそれでも、「いま、自分には、わからない」という状態であることは変わりない。

 ふたつめには、「わからないけどやる」という態度を決めることである。あるいは。「わからないからやる」という、屈折してるんだか自信があるんだかの態度でもいい。とにかく「やる」と決めることだ。

 「わからない」場合、多くの人は、「わからないから、やらない」という消極的な選択を取りがちである。その状態は、「何もせずにぐずぐずしている」とまったく同義である。

 迷っている人は、大体、「わからないから、やりたくない」状態のぬかるみに入り込んでいる。そういうとき、誰がどんな助言しようが「やらない(やれない)理由」を、自らの置かれている状況から、見事な手さばきで探り当て、場合によってはそれを論拠に、相手を論破する。しかし、それでは、一生そのぬかるみから脱することはできない。ぬかるみから足を、えいやっと抜き出すのは、その人の覚悟でしかない。そして、覚悟というのは、「にっちもさっちもいかない状態」をまずは満喫し、自分の非力を痛感し尽くした瞬間に生まれる、身体的(内臓的)な統御の感覚である。

 

 いま書いたようなことは、何もコロナで今年はじまったことではない。もう元ネタがばれているだろうが、ここに書いている「わからない」に関する件は、橋本治氏による『「わからない」という方法』に多くを依っている。

 

 橋本氏は、これを個人における方法として提示した。本稿も、いたって個人的な心づもりについて書いたつもりである。

 

 しかしながら、たとえば検査を「やらない理由」ばかりを探すことに終始している現状をみると、どうも社会全体が、「わからないから、やらない」の方向に、一億総出で向かっているようにもみえる。

 「やらない理由」探しならまだいいが、より致命的なのは、「やらない(やれない)」ことを前提として社会が動いているようにさえ見える傾向である。

 個人的には、そういう社会に対しては、ちょっとうんざりしているし、最初述べたとおり、引き続き、ジタバタする予定である。

 一方で、私は私の仕事をする。言ってみれば、そう決めただけのことだ。

 

 「今さらかい」と笑う人は、さしあたっての仕事が面倒で、つい、ツイッターのTLをチェックしたり、という経験が皆無なのだろうか。多くの人は、そうではないだろうから、こうした兆候を笑えるほどではない自覚くらいは、あったほうがいいようい思う。(了)

 

 

 

 

 

 

 

南方熊楠における、手紙というメディア

加藤典洋さんの父君について考えていた。

それは、加藤さんについて考えるうえで、避けては通れぬ道だから。

 

私自分も、父との間に、わだかまりを抱えている。

つい先日、必要があって父に手紙を書いてみた。

もめごとを収束させるにあたって、話し合う必要があった。

ところが、つい対面だと、相互に感情的な反応に終始し、話は結語までたどり着かない。

そこで、どうにか一人語りを貫くことのできるメディアとして、手紙が浮上したわけである。

 

加藤さんは、何度か父親と怒号飛び交う喧嘩をしている。

加藤さんは、父君と手紙のやり取りをしたことがあったのだろうか?

 

この疑問を抱えたまま、例によってわき道に逸れさせていただく。

 

南方熊楠という思想家・植物学者(粘菌が専門)がいる。

彼の思想(とされているもの)の多くは、主に、土岐法竜という、友人の僧に対して送られた、私信、つまり超・個人的なお手紙において、吐露されたものである。

だから当然、話だって、あっちこっち脱線するし、そもそも話の核というものが見当たらないとすら見える。

少なくとも「こういうことを話そう」という姿勢が一貫しておらず、ブレブレであることは明らかだ。

 

先だっても書いた通り、書くというのは、それ自体が、生成の営みである。

自分が書いた言葉が、自分でも予期しないような次の言葉を生み、その言葉が、また予想外の言葉を生む。本来、書くという行為は、そういうものだ。

 

したがって、熊楠の書いたものに、論理性がないだの、思想としてまとまっていないだのとケチをつけるのは、どうにもお角違いだと言わねばならない。

言っておくが、彼は論理的な文章を書けないわけではない。あの『ネイチャー』をはじめとして、イギリスの学術雑誌には、「ちゃんとした」文章を、英語で書いている。

 

そこで、彼の、あえて「支離滅裂」とさえ言える、あのテキストは、どのような文脈で解釈したらよいのか、という問題は、当然浮上するはずである。

ところが、熊楠専門の研究者たちは、どうもそのことに関心があまりないようにみえる。私が強い違和感を覚えるのは、そこだ。

 

だって、考えてごなんなさいな、手紙ですよ?

手紙というメディアについて、ほとんど言及がされないまま、熊楠のテキストを論じきれるはずがない。

 

そして、日本語ですよ?

熊楠は、論理的であろうとするとき、主に英語を用いた。

そして、日本人の友達への手紙は、当然のことながら日本語で書く。

そういう事情を鑑みれば、日本語というメディアの特殊性についても考えてないかぎり、南方熊楠という巨大な謎には、一分とも迫ることができない。

 

南方熊楠という謎めいた知性に対峙するのに必要なことは、かならずしも新しい知見を得ることではないように思う。

そうではなく、すっかり既知のもの、「そんなもの、今更新しみがないよ」と嘲笑されるような箇所。あえて、そういった部分を、丁寧に、深く、読み込むことこそ、誰が求めるのでもなく、熊楠は求めているのではないか。

 

ウナギのようにつかみどころのない、彼の文章の表層ではなく、その背後にうごめく、無意識的なものの気配を感じ取ること。

 

そしてそのとき、手紙と日本語というメディアの問題は、必ずや浮上する。

 

また加藤さんの話ではなくなった。

ま、それはそれでいい。

どこかで必ず繋がるはずだから。(了)

 

『大きな字で書くこと』と『硝子戸の中』

加藤典洋さんの遺作となった、『大きな字で書くこと』。

この著作は、岩波書店の『図書』という雑誌に掲載された、

短いエッセイをまとめたものだ。

 

最初の出ていくるのは、「斎藤くん」という小題のエッセイ。

山形から東京に出てきて、大学ではじめてできた友人についての話である。

斎藤くんは、フランス語のサルトルの本を読み、

大学にほとんど通わないくせに、飛び抜けて優秀な成績で大学院に通ってしまう、

そんな男だ。

けれど、大学院をやめて、加藤さんも国会図書館の職員となったころ、

「靴の会社で営業をしている」斎藤くんに、道でばったり出会う。

斎藤くんは、「以前同様、背が高いまま、柔和に笑っている」。

加藤さんは、斎藤くんのことを「どうしているかな」と「たまに、思い出す」。

 

この記述に、私は、なんだか微笑ましい既視感を覚えた。

 

夏目漱石硝子戸の中』には、Oという人物が登場する。

Oは、漱石の高等学校の友達で、東北出身。

性質も頭脳も、漱石が、自分よりも「遥かに大きかった」という彼は、

葉っぱの落ちる様をみて、「あッ悟った」と言った、「チャブドー」の男だ。

その人物は、中学校の先生をしているのを、漱石は残念に思っている。

そして本人は、いたって平気に思っている。

 

漱石に詳しい加藤さんは、この類似に自覚的であっただろうし、

たぶん、漱石にとってのOが、加藤さん自身が年齢を重ねるにつれて、

加藤さんにとっての斎藤くんを想起させるきっかけとなったのだろう。

そう推測する。

 

「昔は、小さな字で書いていた」という加藤さんが、

「大きな字で書くと」を話しはじめる前に、斎藤くんの話をしているのは、

おそらく偶然ではない。

なぜならそれは、加藤さんが、人生最後となる大きな命題に挑む前に、

自分の記憶と遊ぶことを選んだことを意味するからだ。

だから、書く人生の起点にある記憶として、「斎藤くん」が召還された。

 

「大きな字で書くと」で加藤さんは、こう言う。

 

「私は誰か。何が、その問いの答えなのか。

 大きな字で書いてみると、何が書けるのか。」

 

これは、まるで詩である。

 

高橋源一郎氏が、『僕が批評家になったわけ』の解説のような箇所で指摘するとおり、

加藤さんは、大事なことを言おうとすると、なんだか詩に近い語りをする。

 

記憶をたどりつつ、詩のような命題を解こうとする。

これが、加藤さんの、最後の、そして最大の挑戦となったことの意味を考えている。(了)

 

内田樹氏による「言いよどみ」の発見

前回の更新から、19日が経過し、現在、20日目である。

三日坊主とは、よくいったものだ。

ほかの人はどうだか知らないが、私は言葉が溢れて仕方ないときもあれば、

内側に言葉を溜めておきたい時期もある。

どちらも、必要な時間だ。ま、休みが長すぎたのは反省しているが。

 

言葉は、まさにそれを書いているときに、言葉の生成のただなかにある。

その渦巻のなかに身をおくことこそが、書くことの愉悦である。

だから、寄り道もするし、自分でもよくわからないぬかるみに足をつっこんだりして、

われながら「自分がなに言ってんのかよくわかんない」事態のなかに突入することが、あえていえば書くことだとさえ思っている。

 

自分にとって、書くという行為はそういうものだ。

この主張は、少しでもバルトやドゥルーズなんかをかじった人にとっては、耳垢ていどの「そらそうでしょ」て話かもしれない。

だが、理屈として知っているのと、自分がそれを実現できているのか、

そこには大きな溝がある。

「自分が何言ってんのかよくわかんない」事態について、最近の日本で、もっとも適切な説明を与えた人物として、内田樹氏がいる。

 

内田樹氏の最大の功績は、「言いよどむ」ことに、積極的な意味を見出した点にある。少なくとも、私はそう思っている。

 

彼は、留学生かなにかの面接に立ち会った際、たとえばシリア情勢について意見を求められたりした学生が、まさに「言いよどんで」いる事態に遭遇する。

そこで内田氏は、その「言いよどみ」こそが、知性である、という仮説を立てたわけである。ここが画期的なところだ。

かつて吉本隆明は、「言葉の幹は沈黙である」と言った。

それはそれで、詩人の彼らしい言葉ではある。

内田氏は、もうちょっと実践的、かつ常識的な範疇で、知性や言葉について考えているように見受けられる。

 

先の面接の話に立ち戻ると、すこしでも常識的に考えれば、日本の一般的な学生に、そんな問いを立てた場合、滑らかに答えをさくさく繰り出すような輩は、たいていの場合、ただ「議論に負けない」テクニックを知っているだけの、言ってしまえば、「薄らバカ」である。

内田氏の議論は、そういう常識に依っている。

 

「それは考えたことがなかった」問いに答えるには、

自分の既知の要素をなんとかつなぎ合わせ、それなりに理路が通るように整理と編集を施す。

少なくともその二つの作業が必要なのは言うまでもないが、

重要なのは、ここで、理路を整理することのみに執着してしまうと、

愚にもつかない、「どっかで聞いたことある」空語になってしまうという点である。

そんな空語を恥ずかし気もなく、ベラベラしゃべるりたてる者が「優秀」とされる査定は、どうにもおかしいのではないか?

内田氏の義憤(のようなもの)は、ここにあったと考える。

 

そこは、「言いよどんで」当然なのだ。

自分の言葉によって語ったり、言葉を紡いだりするには、話ながら書きながら、「ここ、よくわかんない」という部分を発見しながら、そのピースを自分の実感によって埋めていく作業が不可欠である。

ところが、自分の実感というのは、多くの場合、自分にとって自覚的なものではない。

まして、未知の問題に対処するとき、自分でも思いもしなかった、自分の実感に出会ってしまうから、うろたえる。躊躇する。二の足を踏む。

具体的には、「えーと」とか、「あのー」とか、フィラーが乱発され、まさに「言いよどむ」。つまり、醜態をさらす。

しかし、これが知性の自然な姿である。

これが内田氏の解答だと、私は理解している。

 

こういう、一見すると、「なんだか効率の悪そうな知性」を旗頭に登場した内田氏を、最初に評価したのが、加藤典洋さんであったことは、やはり再考に値すると思っている。(了)

 

二つの「巨大な知」

前稿にて、私は、加藤典洋氏は、「2019年1月」に亡くなった、と記している。

さすがにブログだけあって、自分の記憶のままに記した。

というか、このブログは「あまり下調べをしない」という基本方針を採用している。

 

そうしたら、さっそくつまずいた。

ググってみたら、加藤さんが亡くなったのは、2019年の5月であった。

われながら不注意ではあるのだが、しかしなぜ私は、こんな勘違いしていたのか。

 

答えは、わりとすぐに出た。

同じ年、2019年の1月に、橋本治氏が亡くなっているのである。

それで記憶がダブっていたらしい。

 

私の不注意については、とりあえず自ら、「ま、これから気をつけなよ」と放免することとして、大事なのは、この、同じ1948(昭和23)年に生まれた、二つの巨大な知が、申し合わせたように、同じ年に姿を消した、という事実である。

 

別に申し合せたつもりは、両人にないことは承知の上だが、それでも私は、非常に遅れたタイミングで、「なんだかとんでもないことが起きた」と思っている。

 

ところで、さきに「二つの巨大な知」と書いた。

この評価がやや過ぎるのではないか、と見る向きがあるかもしれない。

同じ年に生まれて同じ年に死んだ「だけ」のことに過剰な意味を与えることを訝しる人もいるかもしれない。

 

私の結論を先に述べる。

彼らは、間違いなく「巨大な知」である。

そして彼らが、同じ年に生まれ、同じ年に死んだことには、なにか意味がある。

これは私の直観にすぎないが、そう的外れにはならない予感がしている。

 

「巨大」という言葉がしっくりこないことについては、自分にも思い当たるフシがあるので、その感情を喚起しているであろう、読者としての率直な印象を、具体的に言ってみることにする。

 

橋本氏について言えば、「なにもそんなに軽々しいことばっかり選んでしなくても」と言いたくなるような、ある種の軽薄さがある。

加藤氏について言えば、「なにもそんなに真面目くさらなくても」と言いたくなるような、気鬱さがつきまとう。

 

これらのイメージをもってして、私たちは、彼らを「それほどでもないひと」として片づけようとする。

まるで、彼らの能力の欠損が、そうさせるのだ、と言わんばかりに。

だが、この自分の傲慢さこそ、注視すべきだと、いまでは思っている。

これはべつに、いい人ぶった自戒ではない。

たいての場合、傲慢に構えていると、ひとの知性を見誤るから、そうするだけだ。

 

話を戻す。

彼らは、自分を大きく見せることに、あまり関心がない。

「どうぞ軽んじてください」とさえ、言っているように感じる。

少しでも、文章を書いたことがある人ならわかることだが、文章というのは、自分を守る武装や、堅固な建築物のようなものだ。

少しでも、自分を賢く、大きな存在に見せたい、そういう衝動に駆られるのが、言語の常であり、表現の常である。

 

ところが、彼らは、その真逆を行く。

だからこそ、巨大なのだ。

自分の「弱さ」を、読者に、無防備に差し出すことができる。

そんな寛容さと、ほんとうの「強さ」をそなえた書き手というのは、そうそういない。

 

とはいえ、書きはじめた直後に、自分の記憶違いのせいで、ずいぶん面倒なことになった。

当面は、加藤さんについて書こうと思っていたから。

けれど、この二人の凄さは、やはりどこか似ている。

これからも、ときに橋本氏も巻き込む寄り道をするかもしれない。(了)