加藤典洋『大きな字で書くこと』について

タイトルの通り、加藤典洋氏による『大きな字で書くこと』を読んだ。

 

まずは、静かな驚きがあった。

加藤さんの著書を、それなりに長いこと読んできた読者ならば、そういう、素直な驚きは、少なからずあったのではないだろうか。

 

その前に『僕が批評家になったわけ』も読んだ。

これにも驚いたのだが(それについては、また今度)、結果的に「遺作」となった、この『大きな字で書くこと』は、あらゆる評価を超えて、加藤さんの一つの到達点として、そして、日本語の可能性を拓くものとして、最大限の敬意をもって接するべきだと思っている。

 

なんだか、まわりくどいことを言ってしまった。

整理する。

いま、さらりと言ったが、加藤さんは、2019年1月に亡くなった。

誰かが亡くなると、それなりに人の心はざわつくし、今まで遠のいていた読者が、その人の最近の著作に手を出してみたりすることは、よくある。

かくいう私が、そんな怠惰な読者だった。

 

私が初めて加藤さんの著作に接したのは、『日本風景論』という文庫だったと思う。

国木田独歩忘れえぬ人々』を題材に、目の前にいる人が風景と化していく、認識的な付置の変化について書かれたものだった。

そう書かれても、「?」となる人も、多いのではないか。

それもそのはず。

書いている私も、いまひとつ「?」だ。

 

たしかに、当時の私は、それを面白いと思ったし、加藤さんの力量に舌を巻いた。

が、同時に、まわりくどいなあ、面倒くさいなあ、という印象もぬぐえなかった。

おそらく、柄谷行人の影響を受けている気配はしたけれども、当時の柄谷氏のような、鮮やかなキレを感じさせる筆致とは異質で、なんだか、加藤さんの文章は、ひどく、ごつごつしていた。

つまり、柄谷氏の文章にあるのが、舗装された道を、びゅいーんと未知の彼方まで連れて行ってくれる、そんな小気味良さだとすると、加藤さんの筆致は、舗装されていない、大小の石がむき出しになったままの道を、えっちらおっちら歩く、そんな感触だった。

読んでいるこちらの足元がおぼつかないののだから、著者も、ずいぶんと、もどかしい思いをしながら書いているのではないか、そんな出しゃばった推論すらした。

 

結果として、若かった私は、加藤さんに感じた「もどかしさ」「ごつごつして足元が悪い感じ」を、書き手としての能力の不足として片づけようとした。

だから、彼が、憲法問題などの政治的案件について書いていることくらいは知っていたが、あえて触手を伸ばそうとはしなかった。

ただでさえ、もどかしい語り口のひとが、政治について語るのは、なんだか、とても辛いことのように思われた。そして、その辛い感じを読むのは、こっちとしても、面倒臭い、という判断が働いたのだと思う。

 

その直観について吟味するのは、他稿に譲る。

とにかく、私は、加藤さんの文章を、長いあいだ、「なんとなく面倒くさい」と忌避してきた。

そして、そのことを、いまひどく恥じている、ということだけは確かだ。

そのことを、『大きな字で書くこと』は教えてくれた。

私が閉ざした回路が、彼の死によって、なんの偶然か開け放たれ、その結果、私は、まず、静かに驚いた、ということだ。

 

やっと最初の段に戻って、いささかホっとしている。

 

その驚きについて、

そして、もう加藤さんはいない、という致命的な遅れについて、

今後書いていくことにする。(了)

 

父の日

父の日が、近づいているらしい。

自分の父がどうこう、という話は置くとして、

誰にでも「ああ、こんなお父さんだったら」と、理想の父親像を描いたことくらい、あるのではないだろうか。

 

私の場合は、幼いころのそれは、ご近所の由美ちゃんの、お父さんだった。

由美ちゃんのお父さんは、明らかに細君に、というか家族にコケにされていた。

由美ちゃんも、そのお母さんも、どうも、お父さんに対して評価が厳しく、よく「頼りない」とかいう言葉を、彼本人に向けて、ずけずけ放っていた。

彼は、掃除を命じられれば、掃除もするし、帰りの遅くなった私を送っていけ、と言われれば、快く私を家まで送り届けてくれた。

帰り着く我が家では、父君が威張り散らしている。

そう考えると、つい気鬱になり、ときに、由美ちゃんの家に生まれたかった、とすら思った。

 

前世紀の、のっぺらぼうに無個性な郊外住宅地は、見たところ、どの家も同じようなものだ。

とはいえ、自分の帰るべき家は、由美ちゃんの家ではない。

 

こんな柔軟な、父性もあるのか。

私にとっては、父への嫌悪よりも、この驚きのほうが大きかった。

世紀をまたいだ現在、どうやら世の趨勢としては、由美ちゃんのお父さんのありように、軍配が上がっている。

とはいえ、父を責めても仕方ないと思う。

彼は彼なりに、家族を愛していたのだから。

 

 

そういえば、先日、内田樹氏と内田るん氏による、親子の往復書簡である『街場の親子論』を読んだ。

それについて内田氏が、「親は謝り、子供は許す」ことについて語っていた。

 

誰もが、自分の育った家庭に対して、潜在的には不満はあるだろう。

なかには、自分の親を許しがたい人もいるだろう。

それは各人で事情が違いすぎるので、なんともいえないが、

できることなら、親を許すべきだと思う。

それは、親のためというより、自分のためだ。

そこに淀んだわだかまりを抱えたままだと、自分を愛することは、なかな難しい。

 

そういうわけで、今更ながら、父に花を送ろうと思い立った。

彼は、なぜかピンクの花が好きだと、最近知った。

あまりのキャラクターとのギャップに、驚きもし、笑いもした。

結局のところ、私はまだ、父のことを、あまりよく知らないのだろう。

家族のことは、うんざりするほど知っているつもりでいても、とても限られた側面しか知らない。

全方位的に、その人を知ることはできないし、とくに家族は、「わからない」存在として付き合うくらいが、ちょうどいいような気がする。

古希を過ぎた、ガンコなおじいちゃんに、ピンクのブーケを。